虎談巷説 阪神タイガース的日常

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長嶋さんありがとう
読売ジャイアンツ終身名誉監督・長嶋茂雄さんが、6月3日、肺炎のため89歳で亡くなられました。

私が物心ついた頃には、すでに長嶋さんはプロ野球界のスターでした。他にも名選手はたくさんいたはずですが、真っ先に思い浮かぶ名前といえば、やはり長嶋茂雄。その存在感は、自分だけでなく多くの人にとって、まさに「プロ野球の顔」だったのでしょう。
当時はプロ野球自体が好きでも、特定のチームを応援していたわけではありません。関西では週末の夕方に『パ・リーグアワー』という野球中継があり、その影響もあって、稲尾、杉浦、野村、中西、土井正博といったパ・リーグの選手には親しみがありました。一方でセ・リーグの選手にはあまり馴染みがなかったにもかかわらず、長嶋さんだけは別格でした。やはり、特別な選手だったのだと思います。
やがて私は阪神ファンになりました。もちろん、試合となれば読売を相手に燃えるわけですが、それでも長嶋さん個人のことは、どこか好きだったのです。たとえば掛布選手を熱烈に応援していたにもかかわらず、心のどこかで長嶋さんにも声援を送っていた記憶があります。
阪神が低迷し、チームも内紛続きだった「暗黒時代」、その頃長嶋さんは2度目の読売の監督を務めていました。読売の監督といえば本来、阪神ファンにとっては敵です。しかし、そんな時でさえ「もし長嶋さんが阪神の監督だったら」と、ふと思ってしまったこともありました。それだけ魅力のある存在だったのでしょう。
2004年、長嶋さんが脳梗塞で倒れたというニュースには大きな衝撃を受けました。やがてリハビリを経て人前に姿を現されたとき、「よかった」と安堵すると同時に、「もうあの元気で饒舌な長嶋さんを見ることはできないのか」と、寂しさがこみ上げたのを覚えています。
テレビで見たリハビリ風景は壮絶でした。普通の人なら到底できないような厳しい内容を、高齢の長嶋さんが黙々とこなしている。その姿に、現役時代の熱い魂が今なお失われていないことを感じました。きっと、「ファンの前に、元気な自分をもう一度見せたい」と思っていたのでしょう。その思いが叶う前に亡くなられてしまったことが、本当に残念でなりません。
プロ野球が、単なる興行から、健全で魅力あるエンターテインメントへと進化していくきっかけを作ったのは、長嶋茂雄という存在だったのかもしれません。引退後もずっとスターであり続けたその姿に、改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
長い間、本当にありがとうございました。どうか、ゆっくりとお休みください。

合掌
auther : yohkura | プロ野球 | comments(0) | trackbacks(0) |
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